創作と戯言のあいだ


SecondLifeにて活動すなるLoveSzpringerがRLが創作おとびその他戯言をのたまいける。
序に代えて最初にお読みくださるとうれしいです。
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 歌を詠む。

会いたいと
百度言っても
足りなくて
今亡き君を
歌に詠おう
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 すごくとってもどーでもいー。

「過去の自分の問いかけに答えてやれるのは、その問いかけが生まれた状況を本当に分かっている自分、それもすべてのことを俯瞰して見られる未来の自分しかいない。」

『西の魔女が死んだ』のシナリオ本で、本編の前に書かれていた言葉である。
そのとおりだと、私は思う。
今私が苦しんでいることも、母が苦しんでいることも、他人には慰めようも励ましようもないことなのである。なぜなら、他人は的外れな励まししかしないからである。私がそう決め付けているのも、他人を理解していない証拠なのであろう。
私の母は、今年の4月の末、心筋梗塞で倒れ、手術と入院をしている。そのときの光景は、母は覚えていないと言う。一番つらいときの記憶が欠如しているらしい。その光景を一番鮮明に覚えているのは、多分私だろう。家族の中でその状況を知っているのは間違いなく私一人である。
そんな母は、退院する際、こういう患者さんには、あと10年は生きて欲しいと思うんですと、看護士に言われて帰って来た。母の命は、長くて10年なのである。
それから2ヶ月余り、母はずっと悔しい悔しいといって生活している。私がいったい、どんな悪いことをしたのか、と。私一人がどうしてこんなに苦しまなければいけないのか、と。母は、まだ52歳だ。悔しくても当たり前である。
今日、いつものように母が悔しい悔しいと言っているときに、私は尋ねてみた。死ぬ実感があるか、と。母は、実感はないけれど、いろいろなことを整理しようとし始めているからきっと死ぬのだろう。というようなことを言った。確かに、母は私を相手にして自分の過去を整理しようとし始めている。思い出話が増えたのだ。そのことを指摘すると、私に残せるものが何かを考えているのだと、母は応えた。そして、何もない、という結論に達したとも。
悔しいところは、きっとそこなのだろう。そのために気持ちが乱れたり、沈んだり、何かに対するやる気がおきなかったりするのだ。しかし、それを医者は理解できない。医者は、そんな母に、精神科へ行け、という。私も母も、特に精神科へ通うと言うことへの抵抗心はない。ただ、行っても解決できないところに本当の苦しみがあることを、お互いに理解している。これがきっと、最初に述べたことなのだろう、と思う。

私は、「過去の自分の問いかけに答えてやれるのは、その問いかけが生まれた状況を本当に分かっている自分、それもすべてのことを俯瞰して見られる未来の自分しかいない。」
というこの文章を読んだときに、思わず泣きそうになった。わかってくれる人がいた。そんな気持ちになった。別に、なにかをわかってもらったわけではないが。しかし、常に思っていたことを本と言う、形のあるものに書いてくれる人がいた。この人だけはわかってくれている。何故だか、そういう気持ちになったのである。

私は、この映画を見に行って、このシナリオ本を購入してよかったと思う。
ただそのためだけに、私は少し救われた気がする。
この映画の、泣きどころのわからないところで、私が一人だけ泣いていた。それもきっと、「この人だけはわかってくれている」と思う何かがあったからなのではないか、と思う。
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 私はバンパイア

血が欲しい。
血が欲しい。
私を愛してくれる者の血が欲しい。
たくさんの者の血が欲しい。

あなたを吸い尽くしたいの。
ねぇ、私を愛してるなら血を頂戴。
あなたの血も
あなたの血も
お前の血も
全部全部、吸い尽くしてあげる。

あぁ、もうお腹がいっぱいだわ。
でも、まだ足りないの。
なぜかしら。

こんなにたくさんの者が血をささげるというのに
いったい何が足りないというのかしら。

美味しくない。
美味しくない。
誰の血も美味しくない。
満たされない。
満たされない。
いつまでも満たされない。
| 創作 | comments(1) | trackbacks(0) |
 当初の目的はどこへ行った。

当初私は、「有名作品パロってやるよ〜」とか言っていたわけですが
本を読んでいる時間がなく、読んだとしても考えるない。
そのため、パロディーなんて書けないのです。
あぁもう。。。


というわけで
ただのつまんない創作日記になります。ごめんなさい。
また頭の回るときにパロディーでもやろうと思います。
ではでは。
| 戯言 | comments(0) | trackbacks(0) |
 寂しくて死にそうだけど。

お願いだから、私の領域に入ってこないで。
私の居場所を奪わないで。
一人でいることよりも、存在する場所を奪われるほうがつらいの。
存在を否定されているみたいでつらいの。

うさぎは寂しいと死んでしまうのよ。
けれど、一人でいることより
一人でいる事実を突きつけられることのほうが
もっと寂しいの。

本当に、寂しくて死んでしまいそう。
| 戯言 | comments(2) | trackbacks(0) |
 その美しい光景を。

 思い浮かべるのは、とても美しい光景。赤い首輪をつけたその首を、大きな手が包み込んで、君の目に美しく映る俺が、君を殺す光景。ビジュアルが美しいなら、死んでもかまわない。美しい光景の中で死にたい。君はそう、心から思ったのだろう。
「ねえ、首を絞めて」
 俺ははじめ、そういうプレイなのだろうという程度にしか、その言葉を考えなかった。以前から首輪を求めていた君だから。それが、心理的な拘束を、精神的に欲しているものだなんて考えもしなかった。ただの嗜好なのだろうと思っていた。けれど君は、苦しいが故に、もっと苦しみたいと考えていたのだろう。君の苦しさは、俺には理解できなかった。
 君の細い首をつかみ、ゆるく、少しずつ力をこめていく。君は、眉間にしわをよせ、けれど幸せそうな顔をした。
「ん・・・・・・いい・・・・・・気持ちいい・・・・・・」
 君はそういい、薄く目を開け、目を潤ませて続ける。
「もっと・・・・・・もっと、苦しくして」
 俺は、君の言葉に応じる。君の顔はどんどんきれいになってゆく。美しく、幸せそうになってゆく。
「幸せよ、私」
 かすれた声で君が言う。俺の手の力はどんどん強くなり、もう君のきれいな顔もよく見えない。ただ、もっと強く、そう考えているだけだった。
「ありがとう。あなたに殺されるなら、私は幸せ」
 ようやく搾り出す声で、最後はもう声にもならなくなっていたが、君はかすかにそういった。そのまま、君は目を閉じる。その目からは美しい涙が一筋だけ流れた。
 俺は正気に戻った。君の顔は美しい。一瞬、本当に殺してしまったかと思った。首で脈を確認すると、確かに、定期的な振動が伝ってきた。よかった、生きている。
 君は、何故そんなにも死にたがるのだろう。それも、この方法に限られている。君はいったい、何をそんなに苦しんでいるんだ。何をそんなに求めているんだ。

 君は決して、俺には話さない。
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 ブログ小説というものは

ブログの特性を生かしてこそ、その存在価値があるものではないだろうか。
ブログの特性を生かしたブログ小説とは何か。
勝手にリンクさせていただくが、せんせぇに愛たいというブログがある。
これは、塾講とその元教え子との恋愛を描いたものであるが、この書き方は非常にうまいと私は思う。
文字の色、取り消し線などをうまく使っているブログ小説である。
まぁ、この場合エッセイというのかもしれないが。

小説を公開したくて、その場としてブログを選んでいる人間は間違っている。
そもそも活字は紙で読むのが一番楽であり、目に優しいのだ。
それをわざわざ、ディスプレイに映し出し、細かい字や見えづらい色で演出をし、内容をうまくボカしている。そんな小説に何の意味があるというのか。
やるのなら、徹底的にやれ、と私は思う。
ブログの特性が生きない小説を書きたいのなら、紙に書けばいい。
そもそも、いつの時代からだれかれかまわず自分の意見を他者に公表できるようになったのか。
もともとは、自由な発言を不特定多数に発信し得る人物は限られていたのである。
もちろん、書きたい人誰もが書けて、不特定少数に読んでもらえることはいいことだろう。だが、その特性を生かせないのならば同人誌でも作っていればよい。
もう一度言おう、ブログ小説というものは、その特性を生かして初めて存在価値を持つのである。

ところで、私がやっているのはブログ小説ではないのか。
申し訳ないが、私はブログ小説を書いているつもりはない。
日々思うこと、考えることを、そのままストレートに晒すなんて恥ずかしいことができないために、ああやって、回りくどいことをしているだけである。
したがって、私のブログは日記の一部であると考えていただければありがたい。

・・・ただし、その日記がすべて私の本心というわけではないことも知っていていただければ、なおのことありがたい。
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 自由にどこへでも行ける

 早く死にたい。死んでしまったら、どこへだって行けるのよ。彼女は穏やかな顔でそう言う。ばかなことを言うな、と私は目をそちらに向けぬまま言う。彼女がくすりと笑った声が聞こえた。
「だってあなた、年をとったら体が言うことをきかなくなるじゃない。死んでしまえば、こんなわずらわしい体はなくなるのよ。そうしたら、きっとどこへだって身軽に行けるわ。」
 紫の煙が宙を舞う。メンソールと、花のような甘いにおいが鼻をついた。
「やぁね、この煙草。匂いがきついわ。パッケージに釣られて買ってしまったの。」
 私の横で、裸のままうつぶせになり、ベッドの枕元にある小さな棚の上に灰皿を置き、彼女はそう言った。若々しく艶かしい、ふくよかな胸が横から見える。
「この体のまま死にたいの。この体が、年老いていく前に死にたいの。」
 彼女は。リューマチに脊髄分離症、数年前に一度、心臓弁膜症を患っている。小さい頃から持っていた、リューマチには、ずいぶんと悩まされたらしい。それを理由に体育の授業や、学校をそのものを休まなければならなかったときには、「年寄みたいだな」、と、よく教員に罵倒されたのだという。
「病院で、奇形が始まってしまった三十代の女性のリューマチ患者を見たことがあるの。待合室に4,5人、リューマチ患者が集まってね、一緒に診察を受けていたみたい。その中にいたのよ。私も、ああなるのかしらって思ったら、嫌になったの。」
 リューマチは、関節が変形するらしい。私は詳しいことを知らない。
「けれど、リューマチでも、関節が変形していないおばあちゃんを僕は知っているよ。その人も、小さな頃からリューマチに悩まされていたらしい。」
 それは私の祖母のことだった。夜になるといつも、脚の痛みを訴えていた。私は、そんな風に脚や手が痛くなったことがないから、病気を口実に私にマッサージをさせて、自分はいい気をしているんだとずっと思っていた。しかし、愛する人が同じ痛みで、夜に脚を抱えながら泣いているのを見たとき、その痛みを初めて受け入れることができた。
「君だって、関節は変形しないかもしれないじゃないか」
「でも、歳をとれば痛みはもっと酷くなるわ。毎晩毎晩、いい年になっても足を抱えて泣くなんて・・・・・・。」
 彼女は紫の煙を吐く。
「三十代のうちには死にたいわ。それならきっと、まだ綺麗な姿で死ねる気がするの。頑張れるわ。」
「じゃあ、それまでに君が行きたがっているところにみんな行かないと。」
「いいわよ、私は死んだら、どこへだって行くんだから。」
「行けないな。」
「どうして?」
 私は彼女の煙草を奪い取って口に含んだ。
「うわぁ、これ、不味いな。」
 彼女がふふっと口から息を短く吐いて笑う。
「君が死んだら、僕も死ぬ。けど、僕は死んだらどこへも行けないから。」
「そう、それはいけないわね。」
「来週は、どこへ行こうか。」
 僕は彼女から奪った煙草を吸いきって、灰皿に火を押し当てた。彼女の言葉を待ったが、彼女はだまって仰向けになる。私が初めて、そちらに顔を向けると、彼女もこちらを向いて微笑んだ。
「あなたの部屋で、あなたと一緒に眠るわ。そうして、夢の中で海外へいきましょう。夢の中なら、自由にどこへでもいけるわ。」
 私は声を出して笑った。
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 あなたが勧める言葉の裏。

「僕は吉行淳之介なんかを読むよ」
 あなたがそう言うから、私はすぐに吉行淳之介の名前を本屋で探す。真っ赤な本が私の目の中に飛び込んできた。
「宮城まり子が選ぶ吉行淳之介短編集」
 宮城まり子が何者かも、吉行淳之介が何者かも、正直私にはわからない。けれど、何故かその赤い本に惹かれて手にとってしまった。千五百円。高い本ではない。けれど重い。あなたへ一歩踏み込むための切り札。
「序にかえて 夢のような話 宮城まり子」
 愛が語られる。此処で初めて、私は吉行淳之介がもうこの世にいないことを知る。本を手にとったとき、この本がいつごろ編集されたもので、原作がいつごろかかれたものかなど調べはしなかった。ただ、あなたへ近づく切る札を手に入れただけだった。
 愛が語られる。「淳ちゃん」がいないことが夢であれ、と強く願う。私にとっては、あなたが存在することが夢であれ、と願うべきことなのだけれど。
「ただ、愛しているから、ただ、愛の表現がこれ。この御本、誰が、なんたって、これ、あなたへの愛のかたまり。」
 宮城まり子がささやく。いとしく悲しい声で。私にはそのように、確かに届いた。

 一作目、『驟雨』を読んで、私は胸が苦しくなる。「娼婦の町にいた」彼は、一人の娼婦に愛を覚えそうになる。けれど、彼はそれが愛ではないと、娼婦を娼婦という位置から外さないようにと、何度も何度も気持ちを元の位置へ戻そうとする。
「僕は君を愛さない」
 あなたが、そう言った気がした。わかっている。そんなことくらい、わかっている。自分の立場くらい、わかっている。私はそのとき、「道子」と同じように、悲しい表情を浮かべたのだろうか。けれど、「道子」の表情は、商売道具なのではないだろうか。私は、違う。そんな風に、勝手に「道子」を悪者にしてしまう、私は心が狭い。どうして、素直に読めないのだろうか。

 あなたは、彼が「道子」の元へ通ったようには、私に会いにきてくれない。わかっている。あなたが私を「道子」だと思わないことくらい。私を娼婦の位置からずらさないことくらい。驟雨とは逆の、私たちの立場が、なんだか私は寂しくてたまらない。
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 序に変えて。

 『源氏物語』の時代に於いて、古い文学を新しい文学に盛り込むことは、決して悪いことではなかった。今のように著作権が云々ということはなく、逆にそれを風流とし、技巧と認められていた。それは、『源氏物語』の時代に限定されることではなく、時代が中世から近世へ移り変わっても同じことが言えた。いい例が『おくのほそ道』であろうか。記憶違いであろうか。少なくとも、『伊勢物語』の中ではそうであっただろう。
 『伊勢物語』の中で、古い歌を使用した際の「引用」であるか、「創作」であるか、の判断は難しいものがある。「引用」である場合は、作中人物レベルの「引用」であるか、作者レベルの「引用」であるかによって、作品に与える影響には差が生まれる。
 いつからであろうか。著作権云々言うようになったのは。近代文学を見てみれば、作中に、実在の作家を思わせる人物像が描かれることがあった。作者間のつながりがみられる。では、他の作者の作品の引用はどの程度あったであろうか。残念ながら、近代文学は戦後文学を一かじりしかしていないためなんとも言えない。
 私はずいぶんと、現代文学から離れてしまった。ずっと現代から、現実を直視することから逃げ、中古の説話とばかり向き合ってきた。一番最近読んだ現代文学書といえば、角田光代の作品であろうか。
 彼女の作品には女性特有の雰囲気が含まれているように思われる。少女から女性になる過程を経験した彼女であるからこそかけるものがあるのであろう。しかし、それを女流作家の特徴としてはいけない。そう気づかされたのは、吉行淳之介を読んだためであろうか。彼の文章は、男性特有の雰囲気が含まれている、とは思えない。しかし、きっと吉行淳之介として生きた彼しか持ち得ない雰囲気を含んでいるのだろう。それは、まるでいままで位置づけられてきた"女流作家の特徴"に似たものがある。視点が男性と女性である点でそれは異なるが、根本的には似た特徴である。ただし、それをうまく言葉に言い表すことは私にはできない。
 吉行淳之介の作風は、どうも川端康成に似ているように思われる。といっても、私はまだ吉行淳之介の作品を、短編で4作程度しか読んでいない。その中に出てくる女が、川端康成の作品に出てきた、とても愛されていた、芸者の姿によく似ている。芸者・・・舞妓だろうか。川端康成のしなやかな文体が好きな私には、すんなりと受け入れられる文体、話の流れ方をしていた。


 序に変えて。つらつらとどうでもよいことを書き綴ったが、何を書きたかったか。話しが逸れに逸れて、本当にどうでもよいことばかり書いてしまった。
 私が書き綴る創作と戯言の間は、多少、他人の作品を取り入れる。ということを書きたかったのである。いつからか、あまり見かけなくなった引用を私は行おうというのである。もしかすると、私の読書数が少なすぎて世界が狭すぎるがために、「引用が少なくなった」と感じているだけかもしれない。それなら私がこれからする行為には何も問題がない。しかし、私の感覚がもし間違っていなければ、読んだ人間が「何故他の作品を取り入れるのか。」と疑問に思い、不審に思い、あるいは不快に思うかもしれない。そういうわけで、私はこの「序に変えて」を書いたわけである。


 ところで、「変える」より、「代える」が正しいのであろうか。はたまた、もっと違う漢字が正しいのであろうか・・・。
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